作者の言葉

 

≪アーティストへの道の選択≫

 

 高校までは、あまり挫折感も無く、大学入試で落ちたと言う事が、大変な出来事だった記憶が、未だ残っています。

 その後、一浪後も、立て続けに落ち、最終的に入った大学では、今後の“期待”と言うものが遠ざかった記憶も強いです。

 留年も重なり、時間もあった故、卒業後の事を、ゆっくり考えていた折、我が師(津高和一教授)が、たまたま、福井県(地元)で“北美”と言う美術運動を主宰していた土岡秀太郎氏と親しく、北美の先輩・長谷光城氏(造形作家)の紹介もあり、いつしか、土岡氏の「教職の道は選んではいけない、“最初から作家を目指せ!!”」の一言で、リスクのあるスタートを切る羽目になりました。

土岡氏からは、“生き方”を、恩師からは“感性”を、もう一人の尊敬すべき斉藤義重氏からは、“知性”を学びました。

 

≪大学時代のささやかな挑戦≫

 

1年浪人してから大学生になりました。 その当時の母校は、滑り止めで入る大学生が多かったです。  残念だったことに、“レベル”と言うものからはかなり関係のない実情でした。   それ故に大学への期待と言うものは、すっかり消え失せ、退学するか、開き直るか悩みました。

結局、余計な時間とお金を使わないために開き直って、画くことにしました。 大学では画きたいと言う雰囲気がなく、下宿で毎日画きました。 その為、大学には50日程しか出席せず留年です。 本当に無駄な1年でした。  留年の理由も馬鹿げたものでした。   学校にも来ず、偉そうにコンクールばかりに出しているやつを懲らしめたいと言う助手の仕業でした。 ますます興味の無いキャンバスで考えたことは、大学には期待しないことでした。  時間だけ充分にある立場(5年間)故、“自習”に専念出来たことが、今の、曲がりなりにも、アーティストとして生きて行ける原因だったと思います。

 

まず、行ったことは キャンバスに描かないことでした。 絵はキャンバスに筆で描くと言う疑いの無い常識に対して、ささやかな革命です。   そこで、キャンバスを裏返しにして天井に吊って、下から筆の代りに日本ろうそくの太い炎を近つけて、色々なパフォーマンスにトライしました。  67年試行錯誤していた様に思います。

 

このかなり長い試行錯誤の後も、まだ“描かない”、“色は不必要に使わない”と言う“呪文”の束縛は続き、とうとう引き算が0になってしまい、23年は、修行僧のような、作れない!作らない!、トンネルの時期がありました。 そして、トンネルの後に、今の“彩相(さいそう)”シリーズがあります。

 

≪作品の観方について≫

 

私の平面の作品は、絵画とは呼べません。

筆で何かを描いていないからです。 だから“造形”と呼ばれています。 そして”形“より色が主体です。

色も混色しません。

 

色に対する考え方と、愛着が、伝統的ではありません。

伝統芸術の日本画や油絵とは、もとめるものが異なります。

 伝統芸術は、画き方や観方が決まっています。

 ① 何が画いてあるのか

 ② どのようなテクニックを使っているか

 ③ どの程度のレベルなのか 

 ④ 色彩の調和   等

 

この様に、評価の仕方が決まっています。モノサシがあります。一般の方でも、少し学習すれば身につきます。

 

残念ながら、私の“造形”作品は、そのモノサシはあまり使えませんが、観賞していただける方々の“直観”と言うモノサシに委ねます。

極論すれば、美術作品は“色”と“形”と“素材”と“パフォーマンス”で成り立っていますが、平面作品の命は色です。   “色”と言う“言語”は、時間をあまり必要とせず“その場”で“一瞬で”メッセージを発しますから、良くも悪くも、大切な人の顔みたいなものです。


≪酒とアイディアについて≫

 

私にとって、アイディアとは、“何かに気づく”ことですが、酒は本当に効果があります。60代の頭には、まさに潤滑油です。

ただ、飲みすぎた時のメモは全く字も読めず、又、内容も解りません。 

解っていても、40年間変わりません。   

アイディアの発見は、“常に意識している”事が条件です。連続思考が必要です。 

連続思考が止まった時は、薬の酒が必要です。 

少し、自己正当化ですが、そのような理由で、今も酒が作品をサポートしてくれています