≪掛け軸のような 赤い作品≫

 

 赤い破けたところから、飛び出している黄と黒“彩相”作品の基本型です。

 

 ・お寺で展示すれば、なるほどと言う見方と、“邪念”の世界が見えるかもしれません。

・新潟の、ある会社の副社長が、新潟に作ってくれた「松宮の間」と言う広い座敷に常設されると、それなりに“哲学”を見つけ出せます。

・美術館に展示するのが、一番映らない作品です。

 

≪赤い円柱≫


 ポーランドのクラクフの作品倉庫に雷が落ち、この円柱シリーズだけでも、30体が消滅してしまいました。

今まで、48体作り、それでもアトリエには少し残ったことが幸いです。福井県立美術館には6体あります。 この赤い円柱が、心象風景の作品だったことを気づかせてくれたフォットグラファー・宮島氏は、今はおられませんが、感謝すべきことは、作品には、知性と感性と、そして、経験が作用すると言うことを、忘れてはいけないと言うことでした。

この頃は、母や妻やアシストをしてくれる人達に、毎日のように、紙張りをしてもらっていました。

≪赤い球≫


赤い地球です。

今思えば、27~8年前から、地球と握手・赤い地球につかまっていたのです。

生きている地球、呼吸している地球、そこで生きている人間、

地球と人間の叫び━赤い球


最初は、1989年に1体作り、ニュ―ヨーク展に合わせて、2000年に入ってから、2体作りました。  1体は雷の犠牲です。

≪彩相空間について≫


 平面的な作品からスタートして、部屋全体が作品の素材になって行き、そして、谷全体が作品対象になったのが、福井県おおい町の「きのこの森プロジェクト」です。

 今は亡き町長さんが、東京と京都のコンサルタントに以来した公園計画がつまらない、と言うことで、偶然が重なって、私のスケッチを見て採用していただきました。

  良くも悪くも、ワンマンな町長さん故に、実現出来たプロジェクトです。

 本当に実現出来るか!!  と言うことで、町長の指示で、全課長の前で、朝から夕方まで缶詰状態で、プレゼンテーションでした。

 総合プロデューサーとして、生意気な39歳のアーティストを、小馬鹿にした方も多く、これまた色々大変でしたが、この4~5年は、充実したものでした。

 実施計画の段階に入ると、委託業者の抵抗などで、言い難い問題も次々と発生してくるものです。

 最後に、町長の一言、この公園が人気のあるものになったら、アーティストのわがままを聞くから、今回は我慢してくれ! でした。  後で分かったのですが、町長も大変勇気がいる決断だったとの事。

 第二弾として、アーティストのやりたい“原案”をやらしてあげようと言うことで、スタートしましたが、やはり、20年目を迎えても、彩相空間は未完のままです。

 “原案”は、サイコロの館や、赤いピラミッドの子ども美術館や、色の遊び等がありました。

 そう言えば、一つ、エピソードを想い出しました。

 ちょうど、きのこの森のプロデューサーをしていた折、福井県が、県のイメージキャラクターに採用した007ボンドガールの浜美枝さんが、きのこの森近くに別荘を持っていて、私も、県からの依頼で、20数名が浜さんのアシスタントを1年間担当することになり、その一人として加わっているうちに、浜さんが、きのこの森の黒い刑務所みたいな建物もあなたがデザインしたの?

 と後で知ったのですが、「町長さんに、あの黒い刑務所みたいな建物駄目ね!!と言ってしまったわよ!!」とのことでした。  数日後、案の定、町長曰く、「あの天下の浜美枝が、刑務所だと言っていたぞ!!」と。

 これも大変でした。  ほとぼりが冷めた頃、浜さんに、大変でしたと報告したら、ごめんね!と笑われてしまいました。